この実世界において知的に振る舞う人工物,すなわちロボットを創造する上で目指すこととは「あらゆる状況においてあらゆるタスクをこなすことができる能力」です.例えば,現状で存在する最も知的と言われているロボットをあなたの実家に連れて行って「ちょっと洗濯機の中の洗濯物を干しといて」と頼んだとしましょう.要求される仕事は「家の空間構造を把握して洗濯機へ向かい,洗濯機の中のクシャクシャになったズボンやシャツを取り出してカゴに入れ,カゴを抱えて階段に向かい,ちょうど降りてきたおばあちゃんをうまく交わし,ベランダへのアルミサッシを開けて,洗濯物一枚一枚のシワを伸ばし,風に揺れる洗濯ハンガーの洗濯バサミにとめていく」といった感じでしょうか.お母さんたちがみんなやっているこの作業は,ロボットにとっては極めてハードルの高い知能をいくつも要求するものであり,現状のロボットでは残念ながら手も足も出ません.そもそも洗濯機の中を覗いてそこに何がどのように存在するかを認識することや,しわくちゃになった洗濯物を一枚一枚正しく取り出す,ということがすでに極めて困難なのです.テレビなどで,写真のような人間型のロボットがお盆にお茶をのせて歩いてきて「お茶をどうぞ」としゃべったりする姿を見ると,もう人間らしい知性がそこにあるように感じてしまいます.しかしそのようなデモの背景には,部屋の寸法をしっかり計測してロボットの内部モデルを整備し,床や壁の上の正確な位置にに予め定めておいた形状のマークを貼るなどの努力があるわけです.そして当然,あらゆる場所・状況・タスクに対してそのような準備をすることはできません.
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ASIMO (HONDA) |
HRP-2 (HRPプロジェクト) |
一方で世界を見回せば,複雑に入り組んで動的に移り変わる外部世界にいともたやすく適応し,その世界をしたたかに生き抜いている連中がいますね.動物たちは,それぞれが生きる実環境において即座に周囲の状況を把握し,餌を取るとか捕食者から逃げるといった生存に必要な行動を迅速かつ柔軟に行うことができます.これはいったいどういうことなんでしょう?
必死の努力で実験室にマークを貼りまくらないといけないという事実に悔しさを感じているロボット研究者としては,この状況を打開するためのアプローチ方法の一つは,動物たちがなぜ適応能力を発揮できるのか,その メカニズム を解明し,これを人工物の設計に役立てるという方向性です.いわば「神様がおやりになった設計の原理を盗む」というやり口ですね.さて,そうだとしたとき,やるべきことは「動物における適応的行動のメカニズムを専門家である生物学者さんたちに調べてもらい,彼らが得た知見をロボットに投入する」でよいでしょうか? …残念ながら,これもまたうまくいかないのです.
生物学者さんたちは,計測しやすいように動物を固定し,自分の興味の対象である特定の神経細胞に電極を刺して活動電位を測るなどの方法により,特定部位について詳細に調査するという方法を取ります.その仕事は徹底的で,個別部位ごとについて得られた知見は膨大なものであり,これが生物学の進展をもたらしてきたわけです.しかしながら,例えば「固定された動物の特定の神経細胞の活動が詳細に分かった」ことが,直ちに動物の適応メカニズムの理解につながるでしょうか? そうはいかないのです.ここでは,動物の適応的な振る舞いがどのようにして発現するかを考えなくてはいけません.下図に示すように,動物が行動を始めると,その途端に脳神経系・筋骨格系・外部環境の三者間に活発な動的相互作用が起こります (さらに脳神経系や筋骨格系を構成する各要素間にもまた相互作用が生じます).そして,動物が示す適応機能はこの動的相互作用を通じてこそ発現するものだということが明らかになってきました.…ということは,この複雑な系の中の特定の一要素だけを取り出してそれをどれだけ詳しく調べてみても,適応的行動のメカニズムは見えてこないということになります.実際,身体のあり方 (身体性) と知性とは相互依存的で不可分であり,脳だけを単体で取り出して調べてみても知性は議論できない,というような話をみなさんも目にしたことがあるもしれません.
脳神経系・筋骨格系・外部環境間の動的相互作用
さて,問題の本質はなんでしょうか? 生物学を含めた近代科学では伝統的に 要素還元主義 (Reductionism) と呼ばれる考え方がとられてきました.すなわちそれは「いかに複雑な対象に対しても,それはつまるところ要素の集合体なのだから,それを要素に分解 (還元) して個々の要素を詳細に調べて理解し,その知見を再び組み合わせれば,全体のことが理解できるはずだ」という信念です.この「分解する」というプロセスがまずいのです.先ほど示したとおり,動物の適応行動を含めて,複雑な系ではその構成要素の間の相互作用こそが全体の機能や秩序を形成する基盤となっているため,ひとたび「分解」してその相互関係を切り離してしまうと,もはや「全体」は再現できないことになります.
では,このような対象を扱うスペシャリストとは誰でしょうか? まさにそれは我々システム工学者です.多数の要素が相互作用しながら全体として特定の機能や秩序を作り出すものとはまさに「システム」であり,それを取り扱う理論や技術をもっているのがまさに我々なのです.つまり「対象は生物だが方法論は工学」という事態が生じているわけです.そうである以上,この現象を理解するためには,生物学者が工学的方法論を取り入れるか,もしくはシステム工学者が生物学的方法論を取り入れる,すなわち生物学と工学が融合した 生工融合研究 が必要となります.生物学者と工学者が協力して事にあたろうとする「生工連携研究」とは違い,生物学者が工学の世界に,工学者が生物学の世界に足を踏み込まなくてはならないのです.
そういうわけで,本研究室では学生のみなさんに「システム工学者 兼 バイオロジスト」となってもらい,生物学に片足を突っ込んだ研究を実施してもらうことになります.その基本的なアプローチ方法は 構成論的アプローチ (Constructive approach) です.すなわち,生物学的な手法により得られた個別的・要素的な知見をシミュレーションモデルやロボットの上に統合することで動物の一個体をまるごと「構成」し,これを動かしてみることによって構成要素間の相互作用を含めた適応行動の全体を再現するのです.そして再現された振る舞いを解析することによって,適応的な振る舞いの背後にあるメカニズムを見出そうとするわけです.
構成論的アプローチ
こうして作られる動物のモデルを「生体システムモデル」と呼びます.このモデルを構成する上で必要な情報がすでに生物学の論文に載っていれば都合が良いのですが,必ずしもそうではなく,具体的な生のデータが必要となります.したがって我々としては,解剖や筋電位計測といった生物学者のやる仕事を (おぼつかない手つきで) 自分でやるしかない,ということになります.
近年ではこの構成論的アプローチは徐々に普及してきており,様々な対象に対して構成論研究が行われています.その中で本研究室で現在対象としているのは「長い動物のロコモーション (移動運動) における下位レベルでの運動制御メカニズム」です.「長い動物」というのは,具体的にはヘビやヤスデのようにほぼ均一な構造が直列に結合されているとみなせる動物群のことであり,「下位レベル」とは哺乳類の神経系で言えば「脳幹・脊髄・末梢の神経系と筋骨格系」あたり,つまり筋骨格系の運動を直接制御している部位ということになります.このような長い動物の身体運動の制御では,身体部位ごとに局所的な神経中枢 (脊椎動物での脊髄,無脊椎動物での神経節) が周辺部位の制御を担当し,これがその前後の近傍の神経中枢との相互作用や運動器・感覚器を通じた環境との相互作用に基いて運動を自律分散的に生成・制御していると考えられます.その 自律分散制御メカニズム が現在の対象です.
このような研究を通じて,直列結合された身体構造を有する動物の適応行動 (例えばヘビは写真に示すようにあらゆる環境にたやすく適応しています) がどのようなメカニズムで生み出されるかを明らかにし,これを人工物 (ロボット) の設計原理へ落としこんでいく,というのが我々が現在目指している目標です.
自然界におけるヘビの適応能力
ここでは研究の基本的な考え方について説明しましたが,具体的な研究内容については こちら を参照して下さい.